船が出来るまでの建造工程
工場風景
夏の写真
夏の朝日
秋の夕暮れ
中秋の名月
朝日に輝く光の道
秋の朝日
秋の朝日
冬の朝日
冬の朝日
輝く海と朝日
冬空に龍が舞う
係留中の船
師走の風景
師走の風景
師走の風景
師走の風景
女の願いが叶う地蔵鼻
会社を望む由子公園から
夜のライトアップ
朝の風景
氏神様・五柱神社・正月
氏神様・五柱神社・正月
正月の風景
正月の風景
工場裏のBeach Base
工場裏のビーチ
工場をバックに
2月の風景
光春公園
光春公園
工場をバックに
立春の朝
立春の朝日
春が来ました
春が来ました
春が来ました
春が来ました
光春公園・桜
光春公園・桜
桜散りサツキ満開
キンセンカ満開
中秋の名月
彼岸花・会社を望む
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昭和3年~昭和47年(1928~1972) |
年 |
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月 |
因島 造船・当社の歴史 |
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月 |
一般情勢 |
昭和3年
(1928) |
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1月 |
石田光春誕生(石田五左衛門・シモ)の次男として生まれる |
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2月 |
第16回衆院選(最初の普通選挙) |
昭和4年
(1929) |
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5月 |
創業10周年 光春公園完成 |
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3月
6月 |
先代の首相官邸(現首相公邸)が竣工
北海道駒ヶ岳が爆発 |
昭和11年
(1936) |
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12月
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創業者石田五左衛門の妻・シモ永眠(38歳)
(戒名 慈海院善室貞光大姉) |
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2月 |
二・二六事件 |
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昭和6年頃 三庄港 |
昭和6年頃 三庄本村の冬景色 |
昭和7年秋 塩浜が埋め立てられた頃
(沖合に現工場設立) |
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昭和10年ごろ 長崎港着船前の木浦丸
今治ー尾道間を結ぶ定期船がますます増加 |
昭和10年頃 三庄千守海岸での地曳網と
後方に修理に引き上げられた巨大木造船 が見える。(旧石田造船) |
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昭和12年春 この場所へ昭和42年石田造船が移って
来た。(宝崎地区) |
昭和初期 三庄湾風光 |
〃 |
年 |
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月 |
因島 造船・当社の歴史 |
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月 |
一般情勢 |
昭和14年
(1939) |
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5月 |
創業20周年 |
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7月 |
「国民徴用令」が公布 |
昭和24年
(1949) |
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5月 |
創業30周年 |
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1月
4月 |
法隆寺金堂が炎上
為替レートを1ドル360円に固定 |
昭和25年
(1950) |
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10月
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初代石田五左衛門が引退(55歳)、石田光春(22歳)が代表就任
(創業31周年) |
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6月 |
朝鮮戦争勃発 |
昭和28年
(1953) |
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4月 |
日立造船因島工場の協力会社となり、大型船の煙突製作始める |
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8月 |
日本テレビ放送開始(民放初) |
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昭和18年6月 学生の動員計画が成立 (戦時中の因島高校) |
三庄中学校の新春正月風景 (昭和28年5月1日/因島に市制が施行) |
昭和29年頃 三庄小学校付近
(沖合に現工場設立) |
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昭和29年9月13日 台風13号が来襲 |
昭和29年秋 移り行く三庄の中心部
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昭和29年冬 東廻り
尾道港に乗船するサンパンに乗り込んだ乗客 |
年 |
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月 |
因島 造船・当社の歴史 |
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月 |
一般情勢 |
昭和31年
(1956) |
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1月 |
石田光春、柳田由子と結婚(光春28歳・由子24歳) |
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5月 |
宇高連絡船「紫雲丸」沈没168人死亡 |
昭和32年
(1957) |
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1月 |
石田正憲誕生(石田光春・由子)の長男として生まれる |
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9月 |
大阪市に「主婦の店ダイエー」が開店 |
昭和34年
(1959) |
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5月 |
創業40周年 |
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1月 |
南極でカラフト犬「タロ」と「ジロ」が生存 |
昭和37年
(1962) |
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2月
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小型鋼船の建造を開始し、第1号船199トン型貨物船「伊勢丸」
建造・引渡 |
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8月 |
堀江謙一氏ヨットで太平洋単独横断に成功 |
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昭和30年10月 第17土生丸の進水式 |
愛媛丸 昭和30年代 フェリー万能の時代となる |
昭和32年4月12日 三原沖の佐木島海岸で北川丸沈没(死者113人) (その当日の三庄町本村海岸風景) |
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台風による高潮を逃れて走る因島バス |
昭和33年4月 (金山渡船) 公営のフェリーポートが進水 |
昭和34年10月 因島市消防署が設置される |
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昭和37年 2月因島ガスが創設 7月中庄の青影トンネルが通行可能になる |
昭和37年頃 三庄小学校付近 田園風景 |
(三庄小学校)二階建の大校舎に改築 |
年 |
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月 |
因島 造船・当社の歴史 |
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月 |
一般情勢 |
昭和39年
(1964) |
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4月
7月 |
工場移転計画申請(広島県)
工場移転先埋立開始 |
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10月
11月 |
東京オリンピック開催
第1次佐藤内閣発足 |
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昭和38年 50トン型貨物船進水式
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昭和39年 199トン型砂利運搬船起工式
(写真右端)会長 石田光春 |
昭和40年 199トン型タンカー起工式 |
年 |
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月 |
因島 造船・当社の歴史 |
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月 |
一般情勢 |
昭和42年
(1967) |
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1月 |
個人から石田造船工業有限会社に組織変更(資本金1,000万円) |
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4月 |
東京都知事に美濃部亮吉氏当選 |
昭和43年
(1968) |
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4月 |
公有水面埋め立てにより現在地へ移転し499総トン型船台を2基新設 |
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10月 |
川端康成氏ノーベル文学賞受賞 |
昭和44年
(1969) |
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5月 |
創業50周年 |
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7月 |
アポロ11号月面着陸 |
昭和45年
(1970) |
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3月 |
小型プッシャーバージを開発し第1号船「広島丸」建造・引渡 |
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3月 |
日本万国博覧会開催 |
昭和47年
(1972) |
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11月
12月 |
台風被害による地蔵鼻の地蔵岩を海上クレーンにて、吊り上げ、復旧。
光春汽船(株)を設立し、タンカー船「盛油丸」による運送業開始 |
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2月 |
札幌冬季オリンピック開催 |
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昭和40年 199トン型砂利運搬船 |
昭和41年 199トン型タンカー(長栄丸)就航式 |
昭和42年 199トン型タンカー船建造 |
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昭和42年頃 一本松 (土生町の赤松峠頂にあった地名の由来である巨松) が切り倒される |
昭和42年 因島市役所新庁舎が現在地に落成 |
昭和44年頃(日立造船向け煙突制作) |
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昭和46年12月 国民民宿(因島ロッジ)が 因島公園(国立公園)に完成 |
昭和48年10月 市制施行20周年の喜びに 市民会館が落成した |
昭和51年10月 因島大橋の着工が決定 |
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