船が出来るまでの建造工程


工場風景


夏の写真


夏の朝日


秋の夕暮れ


中秋の名月


朝日に輝く光の道


秋の朝日


秋の朝日


冬の朝日


冬の朝日


輝く海と朝日


冬空に龍が舞う


係留中の船


師走の風景


師走の風景


師走の風景


師走の風景


女の願いが叶う地蔵鼻


会社を望む由子公園から


夜のライトアップ


朝の風景


氏神様・五柱神社・正月


氏神様・五柱神社・正月


正月の風景


正月の風景


工場裏のBeach Base


工場裏のビーチ


工場をバックに


2月の風景


光春公園


光春公園


工場をバックに


立春の朝


立春の朝日


春が来ました


春が来ました


春が来ました


春が来ました


光春公園・桜


光春公園・桜


桜散りサツキ満開


キンセンカ満開


中秋の名月


彼岸花・会社を望む

   
 二代目 石田 光春  昭和3年 (1928) 1月9日生
 独創的なアイデアで新造船建造!!
 昭和25年(1950)~平成12年(2000)/在任期間50年
  
 二代目・光春(昭和3年~平成23年)は、昭和20年に

木江造船学校を卒業した後、5年間のサラリーマン生活を

経験し、初代・五左衛門の後を継ぐため 25年に戻ってきた。

22歳の若さで代表に就任し、まだ木造船の全盛時代であった。

船大工の修行を始め浜棟梁を手伝いながら教わることなく

目で学んだ。人の仕事を盗み取るぐらいの意気込みだった。

37年の鋼船への切り替え。43年に千守から宝崎への工場

移転を経て、経営の多角化に乗り出す。自社で造ったタン

カーやタグボートを使った海運業から建設業まで業務を

拡張した。

昭和59年、正憲が石田造船に入社以来、親子二人三脚で

荒波を乗り越え次々と新型船を世に送り出した。

平成10年4月永年にわたる小型造船事業への多大な貢献が

認められ、晴れて70歳で日本国政府より勳五等瑞宝章を

受章した。

50年間の長期に渡り石田造船の代表取締役を務め、平成

12年12月、三代目・正憲に事業を託し、一線を退き会長に

就任した。

平成23年12月2日、この世の生涯を閉じた。(82歳)

 経 歴    
 昭和31 誕生   
 昭和203 広島県立木江造船学校造船科卒業(17歳)   
 昭和204 (株)大阪造船所・造船課勤務(造船技師)   
 昭和2510 石田造船 入社 代表となる(22歳)  
 昭和421 石田造船工業(有)設立 代表取締役社長(39歳)  
 昭和4712 光春汽船(株)設立 代表取締役社長(44歳)  
 昭和617 藤栄建設(株)設立 代表取締役社長(58歳)  
 平成47 運輸大臣より大臣表彰授与(64歳)  
 平成410 石田造船工業(有)から石田造船建設(株)に商号変更(64歳)  
 平成104 勲五等瑞宝章受章(70歳)
 
 平成1112 光春汽船(株)を(株)ユウキに商号変更  
   代表取締役社長辞任し取締役会長就任(71歳)  
 平成122 (株)シーバス設立、取締役会長就任(72歳)  
 平成1212 石田造船建設(株)代表取締役社長辞任し取締役会長就任(72歳)  
 平成234 石田造船建設(株)から石田造船(株)に商号変更  
 平成2312 永眠(83歳)   
   
 団体歴    
 昭和535 社団法人 中国小型船舶工業会理事 就任(50歳)  
 昭和535 社団法人 小船工東部支部理事・副支部長 就任(50歳)    
 昭和624 因島海事振興協議会幹事 就任(59歳)  
 昭和634 因島海事振興協議会理事 就任(60歳)  

(左)平成10年4月、勳五等瑞宝章(70歳)/(右)平成23年12月2日(勲位)
 
 
     
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