船が出来るまでの建造工程


工場風景


夏の写真


夏の朝日


秋の夕暮れ


中秋の名月


朝日に輝く光の道


秋の朝日


秋の朝日


冬の朝日


冬の朝日


輝く海と朝日


冬空に龍が舞う


係留中の船


師走の風景


師走の風景


師走の風景


師走の風景


女の願いが叶う地蔵鼻


会社を望む由子公園から


夜のライトアップ


朝の風景


氏神様・五柱神社・正月


氏神様・五柱神社・正月


正月の風景


正月の風景


工場裏のBeach Base


工場裏のビーチ


工場をバックに


2月の風景


光春公園


光春公園


工場をバックに


立春の朝


立春の朝日


春が来ました


春が来ました


春が来ました


春が来ました


光春公園・桜


光春公園・桜


桜散りサツキ満開


キンセンカ満開


中秋の名月


彼岸花・会社を望む

   
 創業者 石田五左衛門  明治30年 (1897) 8月15日生
 三庄(小用)で「石田造船」旗揚げ!!
 大正8年(1919)~昭和25年(1950)/在任期間31年
  
創業者・石田五左衛門(明治30年~昭和58年)は、石田儀三郎・マツの10人兄弟の三男として明治30年8月15日、三庄(小用)で

代々続く網元の家に生まれ育った。

10代から木造船が盛んだった山口県・上関へ修行に出て船大工を学び、22歳になった大正8年5月1日に因島三庄町小用で、船作り

と修理を始め、大正12年に千守に移転してから本格的な建造を開始し、次々と木造船を進水させた。

第二次世界大戦(太平洋戦争・昭和16年~20年)を経験し、戦後、木造船の材料となる木材を自分の山から切り出し、木造船事業

(貨物船・漁船の建造)を拡大させた。

31年間の在任期間、代表を務め初代として石田造船の基礎を築き上げた、昭和25年に次男・光春に事業を託し、早くして隠居生活

に入り、残りの人生を謳歌した。



昭和58年12月13日、この世の生涯を閉じた。(87歳)



     
 写真左より 石田シモ(母)・清松(長男)
 石田マツ(五左衛門の母) 大正10年撮影
 軍大生の頃(18歳)  現在の工場地(埋立前)昭和20年頃
       
 従業員たちと(昭和30年頃)  進水式  建造中の木造船(会長・光春)  当時の木造船
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